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映画レビュー「バベル」

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記事初出:2007年05月24日 seesaaブログからの引っ越し

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基本情報
「バベル(BABEL)」(2006、アメリカ)
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(アモーレス・ペロス、21グラム)
脚本:ギジェルモ・アリアガ(アモーレス・ペロス、21グラム、メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬)
製作:スティーヴ・ゴリン(エターナル・サンシャイン)、ジョン・キリク(バスキア、デッドマン・ウォーキング)
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、菊池凛子、ガエル・ガルシア・ベルナル、 アドリアナ・バラーザ、 ブブケ・アイト・エル・カイド、 サイード・タルカーニ

2006カンヌ国際映画祭監督賞受賞
2006アカデミー作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、助演女優賞(菊池凛子、アドリアナ・バラーザ)

公式サイト
http://babel.gyao.jp/

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アレハンドロ監督のパートナー、脚本家ギジェルモ・アリアガの代表作です。
  

ストーリーと映画情報
モロッコ。一挺のライフルを手にした幼い兄弟が玩具と戯れるかのように、ライフルを旅行バスに向けて構える。些細な遊びのつもりで放った銃弾は、あるアメリカ人女性に被弾してしまう。夫は、狙撃された妻を介抱するため、ある村に立ち寄る。そのアメリカ人夫婦の子供2人の面倒を見る、メキシコ人女性。彼女は、息子の結婚式に出席するため、メキシコに帰るならければならないが、夫婦の帰りが遅れ、仕方なく子供を連れてメキシコに向かうが、国境である事件に巻き込まれる。一方、東京では、聾唖の女子高生が、空虚と孤独を埋め合わせようと、危険な遊びを繰り返す。一方、彼女の父親は、モロッコの狙撃事件の重要参考人として、捜査対象とされていた。。。。

世界は偶然出来上がる
チャールズ・ダーウィンの唱えた「進化論」は、その理論の柱の一つに、特定の方向性を持たない偶然による突然変異である、というものがあります。地球に生命が誕生する事が出来たのは、たまたま太陽から適正な距離に地球という惑星があったからです。僕らは生まれて来る国も家庭も選ぶ事ができません。物心ついた時から、偶然、僕らはその環境に住んでいる。偶然出会う人と友情を育み、偶然出会う人と愛し合うのが人間だ。自分が起こす行動がどんな結果になるか、完璧に予想できる人間もいない。偶然の作用がどんな帰結をもたらすのか、だれにもわからない。
事実は小説は奇なり。映画や小説は、あたかも必然的に物語が始まる事が多いが、実際の世界は、偶然で出来ている。一人の作家が構成した必然的な物語よりも、実際の世界は圧倒的に複雑だ。
この映画の脚本家、ギジェルモ・アリアガはそのことを知っている。もちろんフィクションなので、これも一種の「構成」された世界だが、彼のシナリオは、一見したらデタラメに物語に進行する。トミー・リー・ジョーンズ監督作品「メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬」と「アモーレス・ペレス」では、それがより一層顕著だ。しかしながら、今作品もまた、そうした「デタラメ」なエッセンスは充分ある。

集約されない物語=デタラメな世界
モロッコの幼い兄弟が偶然、ライフルを手にする。幼さゆえにライフルによる遊びがどんな帰結を生むか、予想できない。銃弾は偶然、アメリカ人女性に被弾する。その偶然の被弾のせいで、予定の日に帰れないアメリカ人夫婦。その遅れのせいで、息子の結婚式にアメリカ人夫婦の子供を連れ行くことになる、メキシコ人女性。国境越えの際、やはり偶然にあらぬ疑いをかけられ、逃亡するハメに。荒野の国境付近を、子供二人を連れて彷徨う女性を見つけたのは警官だった。この警官(ワールド・トレード・センターの消防士として出演していた)もおそらくメキシカンではないか。彼女は、不法移民の疑いをかけられ、メキシコへと強制送還されてしまう。東京では、モロッコの狙撃事件に使われたライフルの所有者に捜査の手が伸びている。しかし、彼の現在の一番の悩みの種は、聾唖の娘との関係が冷えきってしまっていることだ。
偶然が偶然を呼ぶ。それぞれの話も登場人物が抱える葛藤も共有されない。それぞれの物語は、集約されていくようで、そうはならない。感謝の気持ちをお金を払うことでしか表現できないブラッド・ピット。メキシコ人の家政婦は結局、メキシコからアメリカの戻れずじまい。菊池凛子と刑事の恋も上手くいく事は無いだろう。ガエル・ガルシア・ベルナルはどこに行ってしまったのか。しかし、世の中は、大概そういう風になっているだろうと思う。

世界が偶発性によって支えられていることを知っている人には、素晴らしい映画に写り、それを知らない人には、何がなんだかわからない映画だろう。見た人の知性や感性を試す類の映画だ。「アモーレス・ペロス」や「メルキアデス・エストラーダの三度の埋葬」よりは、予定調和的だし、センチメンタルな方向に寄り過ぎている感は否めないが、それでも優れた作品である事は間違いない。
デタラメを「構成」する、というのは、至難の業だ。しかし、この脚本家、ギジェルモ・アリアガはそれをやってのける。監督も素晴らしいが、この脚本家は天才だ。

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