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映画レビュー「Only Human」

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記事初出:2006年07月22日 seesaaブログからの引っ越し

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基本情報
「Only Human」(スペイン、2006)
監督:Dominic Harari、Teresa Pelegri
脚本:Dominic Harari、Teresa Pelegri
製作:Pablo Bossi
出演:Norma Aleandro、Guillermo Toledo、Maria Botto、Mariana Aguilera


ストーリーと映画情報

スペインに住むユダヤ人家族の下に、次女LeniがフィアンセRafiを紹介するために里帰りする。しかし、そのRafiは、パレスチナ人であり、男はなんとか自分を受け入れてもらおうと奮闘する。しかし、一癖も二癖もあるその家族に振り回されっぱなし。。。。そして、Rafiがキッチンでスープを作る手伝いを始めた時、ある事件が起きる。。。。
盲目の元軍人のボケたおじいちゃん、狂信的なユダヤ教信者の弟、妹のフィアンセを誘惑する姉など、一風変わった登場人物達が、笑わしてくれる。

パレスチナ出身の映画監督、エリア・スレイマンの傑作「D・I」です。これもまた、イスラエル・パレスチナ問題をおもしろい視点で描いています。↓

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欧米諸国に亡霊のようにつきまとうイスラエル・パレスチナ問題
ホロコーストの悪夢の後、国連の承認の後押しを受け、建国されたイスラエル。以前より、この地に住んでいたイスラム教徒たちを排除し、いわゆる自治区に追いやり、壁を建設し閉じ込めた。建国以来、近隣のイスラム諸国との紛争が絶えず、それは今日も続いている(レバノンのヒスボラでの戦闘)。
世界を巻き込む第戦争を引き起こし、近代史上最も悪名高いホロコーストを産み、その償いのため、イスラエルの建国を認めたものの、それが今日まで続く泥沼の争いを生み出してしまった。
建国以来、何十年もイスラエルとパレスチナはお互いを憎み、殺し合ってきた。幾度も出される和平案も突破口にはつながらない。最早イスラエル人とパレスチナ人がわかり合うのは不可能にすら思える。

Only Humanというタイトルの意味を考えてみる

さて、この映画には、そうした悲劇的な歴史的な臭いを感じさせる描写は皆無に近い。家族のおじいちゃんはパレスチナ軍とも戦ったことがあるという話が出てくるが、描写としては、ボケ老人の戯言のような感じだ。基本的にこの映画は、ホームコメディの域を出ない。それがこの映画の弱い部分であり、強い部分でもある。
弱い部分としては、パレスチナ人meetsユダヤファミリーという設定にも関わらず、そうした歴史問題に言及しないこと。別にそうした設定にしなくても、充分この物語は成立してしまう。設定がアジア人だろうが、黒人だろうが、このプロットは充分成立する。
だが、それをひっくり返して考えてみると、それはこの映画の強みでもある。
タイトルを見返してみよう。「Only Human」、直訳すると「人間だけ」ということになるだろうが、映画の中でLeniが云う台詞にこんなものがある。「彼がパレスチナ人だとかそういうことで評価して欲しくないの。彼をただ人間として評価して欲しくて、こうして連れてきたのよ」。
人が人とわかり合う時、当然のことながら、お互いを一人の人間として見ないことには、わかり合うことなどできません。人としてみた時、ユダヤ人だろうが、パレスチナ人だろうが、そんなに変わらない。思想、信条等で対立している相手も自らと同じ人間だということを、想像する力を欠いてはわかり合うことはできないのだ。
このタイトルにこの設定にこのストーリーのコンビネーションは、暗にそういうことを伝えようとしているのだろう。一人の人間として、相手と接することが歴史問題を克服する唯一の手段でもあるのだ。

しかし、惜しむらくはラストのLeniとRafiの口論のシーンだ。ささいなことから、口論が始まり、それがイスラエルとパレスチナの歴史問題についての激論に発展するのだが、あまりにもわざとらしすぎる。半端に歴史問題を語らせるべきではなかったと思う。それを語るなら、やはり家族とRafiの文化的な相違などを盛り込んだ上でストーリー全体で語るべきだろう。