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映画レビュー「麦の穂をゆらす風」

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記事初出:2007年03月10日 seesaaブログからの引っ越し

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基本情報
「麦の穂をゆらす風」(2006、イギリス、アイルランド)
監督:ケン・ローチ(ケス、リフ・ラフ、マイ・ネーム・イズ・ジョー)
脚本:ポール・ラヴァティ(カルラの歌、マイ・ネーム・イズ・ジョー、スウィート・シックスティーン)
製作:レベッカ・オブライエン(大地と自由、明日へのチケット、 ブレッド&ローズ)
出演:キリアン・マーフィー(プルートで朝食を、バットマン・ビギンズ、28日後・・・)、ポードリック・ディレーニー、リーアム・カニンガム、オーラ・フィッツジェラルド

公式サイト
http://www.muginoho.jp/

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2006カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞

今作のDVDとアイルランド独立闘争を指導者マイケル・コリンズの立場から描いたニール・ジョーダン監督作品「マイケル・コリンズ」のDVDです。
 

ストーリーと映画情報
1920年、アイルランドの田舎町、コーク。医師を志すデミアンは、仲間達とハーリングを楽しんだ後、別れの挨拶をしにペギー一家を訪れる。しかし、そこにブラックタンズがやって来て、デミアンの友人を理不尽に殺害する。仲間達は祖国独立のために立ち上がることを相談し合う中、デミアンは一人ロンドンに医師の勉強のため、旅立とうとするが、駅にてまたしてもタンズの理不尽な行動を目の当たりにし、自らも義勇軍に加わる決意をし、兄のテディや仲間達と共に激動の戦いに身を投じる・・・
イギリスの誇る大巨匠ケン・ローチ監督による、アイルランド独立闘争に身を投じた市井の若者達の悲劇を描いた傑作。60年代にデビューしてから一貫して揺らぐことのない、ローチ監督の人間に対する真摯な眼差しと深い愛情と、この世の理不尽に挑み続ける姿勢には本当に襟を正される。

眼差しの巨匠、ケン・ローチ
ケン・ローチ。イギリスのヨークシャーのワーキングクラスの家庭で育ち、大学在学中には演劇活動に勤しみ、BBCに入社後は主にドキュメンタリーを中心に活動。その後映画監督として1968年「夜空に星のあるように」でデビュー。二作目の「ケス(1969)」は、かのクシシュトフ・キェシロフスキ監督が大絶賛をした。この頃からローチ監督の取り上げる題材は、一貫して労働者階級の市井の人々と彼らの生きるコミュニティの絆です。サッチャー政権下の検閲の下、苦しい70、80年代にはほとんど映画作家としての活動はできなかったものの、それでもTVで同様の視点にてずっと製作活動を続けてこられて、90年代からは、世界に巨匠として認めれるまでになりました。デビュー当時から、一貫して変わることのない人間に対するリアルな眼差しは、時に痛々しく、時にやさしい。ローチ監督の映画には、スーパーな人間もあからさまな悪人も出てこない。普通の人間達を突き放すでもなく、かといって近づきすぎず、一定の距離感を保って見つめ続ける。しかし決して目を反らすことはしない。ケン・ローチの映画はそういう映画です。今作もまた然り。

一筋縄ではいかない理不尽の中で
今回、ローチ監督の選んだ題材は、今日、未だ解決されてないアイルランド独立闘争。その渦中に身を投じたコークの若者達が、いかに戦い、苦しみ、支え合い、そして裏切りっていったのかを描いています。医師志望のデミアンが駅で見た理不尽な光景。そこから戦いの渦中に身を投じる。しかし、今度は仲間の裏切り者を処刑しなければならない。心に弱さを持っている人間には、裏切りに心が傾いてもしかたがなかった。仲間に引き金を引くデミアン。仲間を傷つけられた怒りで立ち上がった連中が、今度は自分の仲間を殺さなければいけない理不尽。武器を購入するために高利貸しの人間も擁護しなければいけない。彼は自分たちの母親と同じようなたちを苦しめているのに。遂に独立を勝ち取った。しかし、北アイルランドがイギリス領として残ることに意義を唱えるものと擁護する者とに別れ、今度は同じ仲間同士の間で殺し合いが始まってしまう。同胞に対し、まるでブラックタンズのような振る舞いをしてしまうことの理不尽。しまいには愛する兄弟まで殺すはめになる。異様な理不尽が世界を渦巻いている。誰が悪いのか?この映画は決してだれそれのせいなどと、フィンガーポイントして結論を出そうとしない。適正な距離を置いてみればわかるだろう。どの立場にも正義があり、非もまたあるのだと。

目を反らさないこと
世界には名状しがたい理不尽が渦巻いている。それが人間の業なのかもしれない。この問題に対して、希望的観測など嘯くことに意味などない。さりとてよい解決方法も提示することはできない。せいぜい僕らにできることは、目を反らさないことだけだ。ケン・ローチが常にそうしているように。残酷なものもたくさん見なければいけない。けれど、ときには美しいものも見えると信じて。