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映画レビュー「ロード・オブ・ドッグタウン」

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記事初出:2006年08月15日 ミクシイのレビューからの引っ越し

カルフォルニアのヴェニスという街
ヴェニスと聞けば、皆さんイタリアを想像されるでしょうが、実はアメリカにもあるんです。カルフォルニア州西海岸、サンタモニカのやや南に位置するこのヴェニスという街は、実は僕の現在住んでいる街でもあるんですが・・・
ヴェニスビーチという有名なビーチがあり、そのビーチ沿いにはたくさんのお店が並んでいて、平日に訪れても割とたくさんの人で賑わっている。波も割と高い波がくるので、サーフィンをやっている人をたくさん見かけます。ビーチから歩いて5分くらいの所には、閑静な住宅街に面したアボット・キンニーというストリートには、少しトンがった感性の服屋や本屋、アンティークな小物屋さん等が立ち並び、そのすぐ近くには、メキシコ人の肉体労働者がたくさん住む地域がある。
B何か新しいものをつくりだしてやろう、というような気概に満ちているというか、なんかそんな感じなんです。
もしかしたら、それはこの「Zボーイズ」の残した遺産なのか、それともそういう街だからこそ、彼らのような連中が生まれたのか。
まあ、余談はこれくらいにしてレビューを書こうと思います(笑)

LOCALS ONLY(よそ者お断り)

しかし、今までローカルな中でしか活動していなかった彼らが突然外の社会に出て行って、しかも大活躍してしまう。今まで滑っているときの快感にしか興味のなかった少年達が、様々な欲望に接して、三人の運命が序所に狂っていく。
そこで三人が下す決断は、対照的だ。トニーは、金と名声欲しさに真っ先にチームを離れ、ステイシーもまた、チーム崩壊に伴って別のチームに移籍する。そしてジェイ、彼だけはこのドッグタウンに残る。
それはなぜか。

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最も主体的になされるジェイの選択
ジェイはチームを離れようとするトニーに向かってこう云う。「自分の好きなだけスケボーもサーフィンもやりたいだけできる。他に何が欲しいっていんだ」と。社会での地位や金よりも、ジェイを支配していたものは、ボードに乗っているときの爽快感だった。ゆえに金のために滑らなければいけない、状況に追い込まれそうになった時、彼はそれを拒否してしまう。本当は母親を楽させるために、三人のだれよりも金が必要なはずなのに。
街の外にでた二人とは対照的に、ジェイは落ちぶれていく。日銭を稼ぐため、チームも辞めなければいけなくなった。それでも彼には後悔というものは感じ取れない。思い出の桟橋を燃やす時ですら、そういう感情によるものではないように見える。むしろ、彼は三人の中で最も自由に主体的な選択をしているように見える。桟橋から、スケボーに乗ったまま海に飛び込むシーンは、象徴的だ。
チて結局、「空っぽのプール」に戻って来る。いくばくかの後悔を抱えながら。
街から飛び出し、大金を稼いでいた二人が後悔をし、街に留まり、はためには落ちぶれてしまったジェイは、最も自由を謳歌している。
この逆説が、この映画を単なるスケボー青春映画ではない、非凡な人間ドラマにしtれいる要因だ。
最近の言い回しで云えば、単なる「勝ち組、負け組」の次元を超えた価値観を、この映画は差し挟んでいるのだ。