東日本大震災から1年が経ち、少しずつ復興へ向け動き出しているものの、福島県の原発問題は一向に落ち着く気配がない。そんな中、カメラを手に福島県へ向かった1人の老人がいた。その老人こそが、反骨精神を物語る多くの伝説を残してきた報道写真家の福島菊次郎だ。2009年から2011年に渡り、彼を密着した映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』が8月4日より公開される。
本作は、報道写真家の福島菊次郎を追ったドキュメンタリー。ピカドン、三里塚闘争、安保、東大安田講堂、水俣、ウーマンリブ、祝島など、彼がレンズを向けてきたのは激動の戦後・日本だった。敗戦直後のヒロシマで撮影を始めてから66年、彼が真実を撮り続けた25万枚以上の写真から、権力に隠された“嘘”の日本を知ることになる。日本という国に投げ続けた“疑問”を、今を生きる日本人に“遺言”として伝え始めた時、東日本大震災が発生。福島第一原発事故を受け、ヒロシマからフクシマへ、最後の現場に向かう。
監督を務めるのは、多くのドキュメンタリー番組を演出している長谷川三郎。彼が福島菊次郎に出会ったのは2009年の夏。胃がんを患い、満身創痍の彼に話を聞けるのは、今が最後のチャンスかもしれないと思ったという。それから、彼の元へ通う日々が始まった。1年が経つと、撮影テープは180本を超えていた。
そんな日々が続く中、2011年3月11日、東日本大震災が起こる。「今のフクシマがヒロシマに重なる」そう呟く福島の言葉と、3.11以降のニッポンを覆うであろう嘘を物語っている彼が撮った多くの写真を前にした時「嘘を許してはいけない」そう思った長谷川監督は、初監督作品となる本作を手掛ける。
「問題自体が法を犯したのものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない」
この言葉通り、真実を伝えるためなら手段を選ばずにシャッターを切り続ける彼の指は、カメラの形に沿うように湾曲していた。なぜ、そこまでして写真を撮り続けるのか。1951年、原爆症を患う中村杉松さんに出会う。中村さんは、福島菊次郎にある頼みごとをする。この頼みごとこそが、現在でも現役の報道写真家として活動する理由ではないか。
本作を観たジャーナリストの田原総一朗は「福島の徹底した“反ニッポン”はすさまじい」とコメントしている。福島菊次郎は、保守化する日本に絶望し、無人島へ渡り、自給自足の生活をしていた。「この国を攻撃しながら、この国から保護を受けることはできない」と、現在メディアで話題となっている生活保護や年金を拒否。その徹底した反国家主義者は、東日本大震災から半年後に福島県へと向かう。
ジャーナリスト界で“伝説”と語り継がれる彼の、一切の妥協を許さず、貫き通した信念の姿がスクリーンに映し出された時、観る者は何を感じるだろうか。
映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』は、銀座シネパトス、新宿K’s cinema、広島 八丁座ほかにて全国順次ロードショー。
・映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』 – 公式サイト
提供:MOVIE ENTER – Livedoorニュース
SOURCE:「報道カメラマンは法を犯してもかまわない」“ニッポンの嘘”が暴かれる