テッククランチに面白いコラムが出ていたので、ちょっと考えてみるなど。
検索エンジンは記憶力が良い。私は、不道徳、厭世的あるいは非合法な行為に関する記事を読むたびにこのことを思う。投票日にオバマ氏に関する人種差別発言をツイートした連中、ゲイのルームメートのビデオを盗撮して若者を自殺に追いやった大学生、マンタイ・テオ選手のなりすまし。何年か後、加害者の名前をGoogleすれば、こうした歴史が検索結果のトップに出もしれない、いやその可能性は高い。雇い主、ガールフレンドやボーイフレンド、あるいは隣人は、彼らが何年も前にしたことを知るだろう。どんな状況だったにせよ、彼らが過去から逃がれるのは非常に困難だ。
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検索エンジン、というかインターネットはアーカイブの世界なので、その履歴は基本消えることのない世界なんですよね。1つファイル消したとしても、一度オープンな世界に公開してしまうと、もうどこでコピーされているかわかりませんから、あらゆる情報が残されてしまう世界。
このコラムで挙げられているような愚行でも、若気の至りでも、すべてインデックスされ、いつどこでだれの目に触れているかわかりません。
忘れる権利や機能がネットサービスには必要ではないか、という意見も多々あり、この記事ではエリック・シュミットの改名の権利についての言及が紹介されていますが、当のGoogle自身がテキスト検索だけでなく、画像認識サービスの向上によってテキストなしでも検索できる未来を積極的に作ろうとしている以上、改名してもあまり意味はないんじゃないかと思います。
アルジェリアの人質事件で実名報道の是非が盛んに論じられましたが、あれにも通じる部分があるのかなと思います。というかメディアの本質は記録し、伝えることにあるので、忘れてもらうというのはメディアの機能と相反するものです。インターネットによって、メディアが過剰にあふれるようになってしまったので、この忘れてもらう権利の問題は、一般的なレベルで議論しないといけない問題になったわけですね。そしてネットというメディアは保存性が従来のメディアに比べて異様に強いので。
そしてだれもが情報を扱うようになったので、無自覚にバカをやっていたり、犯罪をやってしまったりして、後で後悔してもその記録を消すのは非常に困難なわけです。
しかしながら、そうした困った問題を引き起こしたネットの性質は、そのままイコール長所でもあるので、否定しように否定できない。落としどころの妥協点がどこなんだろうなあ、と思案してみてもどのへんなのかわからない。
一生記録されてしまうリスクがあるのに、どういうわけでか僕らはせっせと自主的にネットに「なう」とか書いたり、いいねとかやったりしてるんですけど、何なんでしょうね、人間てやつは。
自己顕示欲は消そうと思っても消えるような類のものじゃないので上手くコントロールしながらつき合っていくしかないのですが、そうした自制心と、ネット上でプレゼンスを高めていく積極性のバランスの取り方は割とクリティカルな問題なのかもしれないですね、これからの時代は。
犯罪じゃなきゃなんでもいいとはならないですしね。ネットの活動は。
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