記事初出:2006年08月08日 seesaaブログからの引っ越し
映画学校時代、「自殺」というものをモチーフによくシナリオを書いた。
一年次の夏休みに課題であった長編のシナリオから卒業制作用のシナリオまで、「自殺」というものは一貫して僕の物語の中核に位置していた。
きっかけは、いつか読んだ新聞記事だったと思う。
大阪の高校生が、CDを買いに行くといってそのまま自殺してしまった、という記事。環境汚染や社会問題に非常に熱心な少年だったらしい。突然ふらりと新潟(どこだったか思い出せないが確か北の方だったと思う)かどこかに一人で旅に行っていたりしていたらしい。両親は今回もそうだろうと思い、捜索願いは出していなかったようだ。
その話を基に僕が作った話はこんな感じだった。主人公は16歳の女子高生。彼女の恋人がデートの約束の日に予告なく自殺をしてしまう。母子家庭に生まれ育った彼は、とてもナイーブな青年で、やはり社会にある矛盾や悲劇に常に心を痛めているような人間だった。少女は、何故彼が自殺してしまったのだろう、と痛みを伴う自問自答を繰り返しながら街を彷徨い、路上ライブをしている姉弟を出会い、次第に生きる活力を取り戻していく。そんな中、少女は一人の少年と出あう。その少年は、盲人の白い杖を盗んで集める奇癖をもっていた。その少年こそが、彼女の恋人が死ぬ前に会った最後の人間であった。
日本の年間自殺者が8年連続で3万人を超えた。人口10万人あたりの自殺者数を換算した自殺率では、世界で10位。だが日本より上位の国を見てみると、リトアニアやベラルーシ、ロシアなど、いわゆる旧社会主義国圏ばかり。要するに大きな社会変革に見舞われている国々だ。先進諸国だけを取って比較すれば日本の自殺率はダントツでトップだ。ココを参照
しかし、実際には自殺者数の10倍ほどはあるだあろうと云われている未遂者も含めれば、日本は毎日1000人近くの人間が自殺を試みていることになる(videonews.com参照)。
にもかかわらず、日本の自殺対策はおざなりであった。年間予算は8億5千万円。この金額は交通事故対策の予算の千分の一でしかない。
しかし、このほどようやく日本にも「自殺対策基本法」が成立した。これにより、ようやく日本でも自殺は単なる個人的問題ではなく、社会的な問題として考え始めることができるだろう。そして自殺未遂者や自殺者の遺族に対しての具体的なケアも始まっていくことを期待する。
しかし、問題はそれでは終わらないだろう。なぜこれほど日本で死にたがる人が多いのか。これは、それほどまでにこの日本社会が生きにくい、生きる価値を見出しにくい、生きるの値するものではない、と多くの人が感じてしまっていることの表れにようにも僕には感じられる。これは、日本という国のあり方、日本人として生きるという生き方そのものに投げかけられた問題なのだ。
僕は、社会をリアルに見つめた作品を作りたいと思ってきた。その結果、行き着いた大きなテーマの一つが「自殺」だった。ただ、長らくその事を忘れてしまっていた。
なぜそんな暗い話ばっかり作るのかと、周りにもよく云われた。精神衛生上よくないとも。確かに自殺は時折、甘美な響きとして聞こえる時も無くはない。
自殺対策基本法と、それを受けて特集を組んだvideonews.comを見て、忘れかけていたテーマを思い出した。
自殺を取り巻く日本社会の環境は何一つ解決してはいないのだ。
映画が、この問題に対して何ができるか、もう一度よく考えようと思う。