記事初出:2007年03月15日 seesaaブログからの引っ越し
基本情報
「時をかける少女」(2006、日本)
監督:細田守(デジモンアドベンチャー、ワンピース劇場版)
脚本:奥寺佐渡子(お引越し、学校の怪談)
製作:渡邊隆史
原作:筒井康隆
キャラクター・デザイン:貞本義行(新世紀エヴァンゲリオン)
出演:仲里依紗、石田卓也、板倉光隆、原沙知絵
公式サイト
http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/
2006日本アカデミー賞最優秀アニメーション賞受賞
文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞受賞
今作のDVDと原作です。時を経てこの物語がどう変わったのか比較するのも、面白いでしょう。
ストーリーと映画情報
親友の功介と千昭との野球遊びが趣味の紺野真琴は、ある日放課後の理科室で不思議な実を手にし、それをきっかけにタイムリープの能力を得る。ずっと親友だと思っていた男友達の千昭に告白されそうになった真琴は、タイムリープの能力を駆使してかわし続けるのだが、他の女の子の相談事にまでタイムリープを使っていくことで事態はややこしい方向へ・・・
これまで何度も映像化されている筒井康隆の同名小説を、大胆に曲色して初アニメーション化。原作者筒井康隆自身が、正式な続編だと認めるほどに大絶賛した、傑作青春映画。
アニメ-ションの優位性
僕は、実写映画ばかりでなく、実はけっこうアニメを見ている。子供のころから宮崎駿の作品を見て育ったせいもある。実写映画で僕が好んで見るのは、ケン・ローチ監督やアッバス・キアロスタミ監督の作品のような写実的なリアリズムを追求した類の作品なのですが、単純に考えてアニメというのは、そこからすごく遠い所に位置しているように思える。しかしながら、僕はけっこうアニメも好きだ。アニメにはアニメならではのリアリティがあるように思える。メーヴェが、フラップターが、魔女のホウキが飛翔する時の、あの開放感をあそこまで「リアル」に感じたのは、実写映画では一度もないような気がする。子供の頃、得体の知れない何かであっても恐れず奇妙に感情移入できてしまう、あの不思議な感性を最もリアルに表現したのは「トトロ」だし(余談ですが、ラッセ・ハルストレムのマイライフ・アズ・ア・ドッグも良かった。個人的にはなぜか宮崎アニメのような開放感を感じたのです)、アニメには、実写では表現困難な類のリアリティを描けるのだろうか。外的な写実感ではなく、内的な世界の広がりをリアルに感じさせることのできるメディア、それがアニメの持つ優位性ではないだろうか。宮崎駿の全盛期の作品には、いつもそうした感覚を感じることができた。しかし、宮崎駿があまりに突出した存在だったからなのか、アニメ業界全体が、長らく自閉してしまったためか、次代を担う人材がなかなか出てこなかったところに、遂に素晴らしい才能が現れた。今作の監督、細田守です。この方は今だに閉塞的(子供向けかオタク向けかしかない)なアニメ業界を打破できるかもしれない。
際限なく広がる内宇宙
アニメはそもそもメタ的な表現方法だ。現実をそのまま映す実写とは違い、風景も人も全て人の手が介在する。実写よりも客観性は薄くなる。そのかわり、作り手の内的感覚はより色濃く反映される。青空を写真に撮ったとする。その時、自分が落ち込んでいようが、ハッピーだろうが、青空の青だ。しかし、青空を絵んい描いたらどうだろう。落ち込んでいるときに青空を描いたら、もしかしたら少しその青空をくすんで描いてしまうかもしれない。オテンバな女子高生も男友達とのキャッチボールも放課後や商店街の風景も全てが懐かしく感じる。きっと作り手はそれらに郷愁を感じているに違いない。それがどことなく画面全体に反映されているのだろう。アニメはよりダイレクトに内面的な感性が反映される映像表現だ。
宮崎駿の映画を子供の頃、見ていたが、その世界の広がりには際限が無いように思われた。ラピュタの巨大な木が宇宙に向かって昇っていくあのエンディングに、無限に広がる知らない世界に連れて行かれる気がして怖かったのを憶えている。
今作では、主人公が身の回りのトラブルを解決するためにタイムリープしまくる。しかし、それが新たなトラブルを次々と産む。因果応報というべきか、世界が際限なくループしているかのように。その世界もまたどこに繋がっているかわからないほどに広大な何かを感じさせる。コミカルな部分も多々あるが、これを子供の頃に見たらどう思っただろう。やはりラピュタの木と同じように恐怖を憶えただろうか。
監督は云う。「時をかける少女」には、その時々の言葉で、時々の方法で、時々の少女たちで、何度も語られるべき、世界の秘密が隠されているのだと思う。」と。主人公は最後に時を人為的に操作するべきではないと思うようになる。時の流れは人知を超える。確かに人知を超えている、と映画を見ていて、確かに「リアル」に感じた。アニメは現実にあり得ないものにも、リアリティを与えることができる。現実には、人知を超えたものはそうそう認識できるものではない。
アニメの実写に対する優位性は、ここにこそあるんじゃないだろうか。
かつて宮崎駿が「アニメは基本的に子供のための表現であり、真に優れた作品は、子供のみならず大人の鑑賞にも耐え得るものなのだ」と語っていたが、この作品は、この言葉のど真ん中をいっている。こんなアニメに出会ったのは、本当に久しぶりだ。