[PR]

映画レビュー「グエムル -漢江(ハンガン)の怪物-」

[PR]

記事初出:2007年04月02日 seesaaブログからの引っ越し

guemuru.jpg
基本情報
「グエムル -漢江(ハンガン)の怪物-」(2006、韓国)
監督:ポン・ジュノ(殺人の追憶、ほえる犬は噛まない)
脚本:ポン・ジュノ、ハ・ジョンウォン、パク・チョルヒョン
製作:チョ・ヨンベ
出演:ソン・ガンホ(殺人の追憶、復讐者に憐れみを)、ペ・ドゥナ(復讐者に憐れみを、子猫をお願い)、パク・ヘイル(殺人の追憶)、ピョン・ヒボン(火山高、殺人の追憶)

公式サイト
http://www.guemuru.com/

[PR]

2006カンヌ国際映画祭正式出品作品

今作のDVDとレビュー中にも少し触れた、韓国の今の不安を描く4人の食卓のDVDです。
 

ストーリーと映画情報
韓国で最も大きい河、ハンガン。平和の象徴とも云われるその河に突如として、正体不明の怪物が出現。河の畔で小さな売店を営むカンドゥは、娘を連れて逃げようとするが、引いていた手は別の女の子の手。カンドゥの娘、ヒョンソはあえなく怪物にさらわれてしまう。合同葬儀場で悲しみにくれるカンドゥ一家だったが、そんな折、カンドゥの携帯に娘から助けを求める電話が。。。。カンドゥ一家は病院を抜け出し、完全封鎖されている漢江に乗り込み、決死の救出作戦を敢行する。
「殺人の追憶」のポン・ジュノ監督による傑作モンスター映画。カンヌ映画祭でもその娯楽性と社会に対する深い洞察力を絶賛された。

高度経済成長を象徴する漢江と不安の象徴の怪物
ソウルのど真ん中を流れる巨大な漢江。60年代の高度経済成長を示す「漢江の奇跡」として知られるこの河は、現在はソウルに住む人々の憩いの場となっている。今ではソウルの「平和の象徴」とも云われる。21世紀に入り、かつてない経済的繁栄を見せる街、ソウル。都心には、東京並の高層ビルが立ち並ぶ。人口は現在約1千万人に達し、これは韓国全人口に於ける役5分の1にもなる数字である。首都圏の人口を含めれば、韓国の全人口の約半分近くに達する。僕自身は、韓国に行ったことがないが、凄まじいスピードで社会が変化していることは間違いない。短期間での経済成長がかける環境への負担も、ソウルでは大きな問題となっている(こちらのリンク参照)。
急激な環境変化は今までの常識を常識でなくさせる。周りには見知らぬ人間が溢れ、人は自らの立ち位置を見失いがちになる。そうして人は正体不明の不安を感じるようになる。「4人の食卓」という韓国映画もまさにその「正体不明の不安」をテーマした作品だった。今作は、その不安を正体不明のモンスターに具現化して韓国社会の今を伝えている。

急激に変化する社会に翻弄される人々
妙な化学薬品をアメリカ人研究者が水道に垂れ流すシーンから始まるこの映画。それが原因かどうかは、よくわからないまま、突然モンスターは河に現れる。様々な人間が入れ替わり立ち代わり入り乱れる現在のソウルでは、特定の誰かのせいであのモンスターが生まれた、などとフィンガーポイントできない。量的拡大をめざして進んで来たソウルの経済成長では、あんなことは、仕事場でも家庭でも日常茶飯事だろう。しかし、この作品はたんに環境保護を訴えた作品では、ない。それなら環境汚染の象徴たるモンスターが死んでハッピーエンドで終わりで良い。ところがこの映画はそうはなっていない。娘のヒョンヒは結局死んでしまうからだ。急激な成長によって生じる不安の集合体であるモンスターが死んだとしても、その変化によって傷つく個人は存在する。個人だけではなく社会全体も傷つく。社会が成長することによって、人は多くのものをうしなわなければいけない。故にラストはせっかく怪物を倒しても娘は死ななければならなかった。モンスターを倒してみんなでハッピーエンド、とはいかない。社会は、そんな単純ではないからだ。人々からやがて正体不明の不安が無くなったとしても、壊された環境も含めて、失われたものが取り戻されることはないからだ。日本の近代の歴史を振り返れば一目瞭然だろう。景観を破壊して近代的な建物や大型でパートをつくり、地域の商店街やコミュニティは破壊され、気がつけば、僕らは隣に住んでいる人の顔も名前も知らない。モンスター(不安)がいなくなったところで、その傷跡は確実に残り続けるのだ。そういう社会を韓国は(日本も)生きていくしか無い。

モンスター亡き後に残るものは
多くの痛みを伴って韓国は経済大国への道を歩んでいる。それはかつての日本と同じ姿だ。その急激な成長による社会の変化の後、韓国、そしてソウルという街に残るものはなんだろう。果たして日本と東京には、何が残ったのだろう。
大切な娘を失ったかのような痛みと、それでも延々と続く日常だけが後に残るしかないのだ。

社会変化にたいして敏感な感性を持った人にしか楽しめない映画だ。社会などには興味もなく、自分の趣味の世界だけにしか生きていないような人には、この映画の良さはまったくわからないだろう。