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電気は「たかが」と言い切れるものなのか

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昨日の代々木公園でのデモにはかなりの人数が集まったようです。

主催者発表では17万人、警察発表では7万人と朝のテレビのニュースでは報じられていました。

その昨日のデモで坂本龍一さんの発言が物議をかもしているようです。

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坂本龍一さん「電気のため、なぜ命を」都心で脱原発デモ

 「脱原発」を訴える大規模な市民集会「さようなら原発10万人集会」が16日午後、東京・代々木公園で開かれた。ノーベル賞作家の大江健三郎さん(77)らが呼びかけた署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の一環。約17万人(主催者発表)が全国から集まり、原発の再稼働に踏み切った野田政権に方針撤回を迫った。

 「たかが電気のためになんで命を危険にさらさないといけないのでしょうか。子どもを守りましょう。日本の国土を守りましょう」。集会は午後1時、呼びかけ人の一人、音楽家の坂本龍一さん(60)のあいさつで始まった。

テレビのニュースでも坂本さんのこの発言のシーンは流れていましたが、本当にここだけしか流れていなかったので、もしかしたら前後の文脈があるのかもしれませし、この言葉だけを切り出して何か言うのはフェアじゃない可能性もあるのですが、やはりこの言葉は表現として不適切と思います。

坂本さんのおっしゃった「たかが電気」は、僕らの生活と命を支える最重要インフラです。
今の日本で電気なしで生活は不可能です。

坂本さんの発言の意図は、当然電気が重要ではない、という意図ではなく、電気を作るのに命の危険を冒すのは間違いだ、ということなのでしょうが、それであるならば、やはり表現の仕方というものがあるのではないでしょうか。

僕だとたかが電気という言い方はできない。むしろ電気という生活を支える最も重要なものを不確定要素の多い原発頼って生成しているのはおかしい、という言い方をすると思う。電気は重要だからこそ、原発に頼りきりはヤバい、というニュアンスで言う。

原発の矛盾は、それが社会と生活を築く上で重要なインフラである電気を生成するものであるが、一発の事故でその全てを破壊する恐れがあるというところにあると思います。社会を支えるインフラが社会全体を一撃で壊すリスクを内包している。
(本当は放射性廃棄物の処理の問題は一番の問題であると思いますが)

電気そのものを乏しめる言葉など使わなくても、その矛盾を突くだけで人を動員するには十分じゃないでしょうか。

坂本さんは一流の表現者であるはず。音楽と言葉はイコールではないですが、間違った表現は意図せぬ結果を産むことの怖さはきっとよくご存知のはず。
曲解を産んでも脱原発に向けてプラスの効果があるとも僕には思えないのです。

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「たかが電気」と言うべきではないもう1つの理由