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映画レビュー「弓」

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記事初出:2007-04-14 seesaaブログからの引っ越し

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基本情報
「弓」(2006、韓国)
監督:キム・ギドク(悪い男、うつせみ)
脚本:キム・ギドク
製作:キム・ギドク
出演:チョン・ソンファン、ハン・ヨルム(サマリア)、ソ・ジソク

2006カンヌ国際映画祭ある視点部門正式出品作品

今作のDVDと、キム・ギドク監督の世界を知る上で役立つギドク監督のオフィシャルブックです。
  

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ストーリーと映画情報
海に浮かぶ船の上で静かに暮らす老人と少女。釣り人に船を解放することで生計を立てている二人は、少女の17歳の誕生日に結婚することになっていた。ある日、若い青年が客としてこの船にやって来たことから、老人と少女の関係に変化が生じる。少女は次第に青年に惹かれていき、老人は苛立ちを隠せなくなる・・・・
韓国の天才、キム・ギドク監督による叙情的な恋愛映画。

現代最高の映画作家、キム・ギドク
正直云って、どう、何を書いたらいいかわからない。キム・ギドク作品ほど、言葉で良さを伝えるのが、困難な作品はない。言語とは、世界にある何かに意味付けし、コミュニケーション可能な事物に半ば暴力的に変換する装置だ。僕らは言葉によって物事を認識し、言葉によって感情を伝え、言葉によって思考し、言葉によって記憶を貯蔵する。おそらく大半の人は、言葉以前の記憶を持たないだろう。当然だ。基本的に、人間は言葉によってしか記憶も感情も貯蔵できない。
しかし、どういうわけだが、これは僕の見方だが、キム・ギドク監督は、言葉以前の記憶をもっているかのように見える。ギドク監督の作品は常に、言葉のコミュニケーションから逸脱している。大抵、主人公達は、言葉を交わさない。常識からは逸脱した関係性を維持している。強制売春の挙げ句恋の落ちる「悪い男」、空き巣に入った家から妻を連れ出す「うつせみ」等々・・・まるで「お前の物差しでじゃねえよ」とでも言いたげだ。キム・ギドク監督の作品は、言葉で意味付けできる範囲の物差しでは決してはかることのできない世界観にある。彼はまるで別次元の住人のようだ。

この世界から解き放たれ、空気となる男
今作の主人公の二人も、他のギドク作品同様、言葉によるコミュニケーションをしない。代わりに彼らは、背中を流し、弓占いをし、美しい音楽を奏でる。時に少女も老人も客やお互いに向かって弓を放ったりもする。言葉だけでなく、彼らは表情の変化にも乏しい。それでもなお、二人の感情の揺れは、「空気感染」のように見ているこちらに伝わってくる。言葉を操る青年に少女が惹かれだし、老人は嫉妬に狂い始める。常軌を逸した行動に出始める老人。しかし、それでも最後に少女は老人を選ぶ。アダム・スミスではないが、この映画の世界には、「神の見えざる手」が介在しているかのようだ。
そして、最後に老人は、本当に「空気」になって少女と結ばれる。もはや、だれも割ってはいることのできない世界に二人は行ってしまう。青年はただただ驚きの表情でそれを見守るしかない。この青年は我々、一般社会を生きる人間の代表だ。言い換えれば一般社会に生きながら、キム・ギドクの世界観に触れる観客と同じ立場にいる。彼は、二人の姿に何を学ぶのだろう。それは我々がギドク作品から受け取るらなければいけないものと同じだろう。これを「ただの悪趣味だ」、とだけ評するのでは終われないはずだ。

キム・ギドクは未曾有の天才だ。現代最高の映画作家だと断言できる。引退報道が流れたが、どうかそんなことにはならないで欲しいと切に願う。