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映画レビュー「Match Point」

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記事初出:2006年03月18日 seesaaブログからの引っ越し

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基本情報
「Match Point」(2006、アメリカ)
監督:ウッディ・アレン(アニー・ホール、世界中がアイラブユー)
脚本:ウッディ・アレン
製作:Stephen Tenenbaum, Gareth Wiley
出演:ブライアン・コックス(アダプテーション)、スカーレット・ヨハンソン(ロスト・イン・トランスレーション)、ジョナサン・リース・マイヤーズ(ベルベット・ゴールドマイン)

2005アカデミーオリジナル脚本賞ノミネート

公式サイト
http://www.matchpoint.dreamworks.com/main.html
ストーリーと基本情報
プロテニスコーチのクリスは、テニススクールの生徒であり、大富豪の娘であるエレノアとつき合い出す。ほどなくして結婚し彼女の父のつてで大会社の重要なポジションを得るが、やがてエレノアの兄の恋人のノラに惹かれ出し、二人はお互いを愛し合うようになる。エレノアは早くクリスとの間に子供が欲しいと願っているがなかなか恵まれず、逆にノラが妊娠していることが発覚してしまう・・・
ウッディ・アレンが、めずらしく舞台をNYではなくロンドンに、そしてコメディではなく、シリアスな恋愛悲劇を上筆なタッチで描いた秀作。

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ウッディ・アレンによる3編の恋愛戯曲集と、NYのパブで25年以上もクラリネットを演奏しているアレンの初音楽アルバムです。映画だけではない、アレンの多彩な才能の触れてください。↓
  

アメリカ最後のオリジネイター「ウッディ・アレン」
ウッディ・アレン。TVや舞台の台本を手掛け、65年脚本兼出演した「何かいいことないか子猫チャン」で映画デビュー。その後77年の「アニー・ホール」でアカデミー賞を受賞するも受賞席には現れず、その後も21度もノミネートされるも一度もアカデミー会場に姿を現したことはない。一度だけ2002年の授賞式にニューヨークを舞台にした作品の特集の紹介を依頼された時だけ、会場に姿を現したことがあるそうだが、それも自分の出番が終わればすぐに帰ってしまったらしい。ニューヨークに生きるユダヤ人のライフスタイル、恋愛模様をコミカルに描く作風を得意とし、監督・脚本・出演の三役をこなすこともしばしば。ほぼ年に一本のペースで作品を発表しており、そのほとんどすべてが傑作。しかも、彼の作品は全てオリジナルのアイデア。ウッディ・アレンは間違いなく映画史上、最も重要な映画作家の一人であり、現存するアメリカの映画監督でも最高の監督の一人であると云えるでしょう。

ニューヨークでもない、コメディでもないアレン
さて、今回の新作「Match Point」はアレン作品としては珍しく舞台がNYではなくロンドン、コメディではなくシリアス調の悲劇的作品です。しかし、そこに描かれるものは、やはりアレンのそれです。二人の女性の間で右往左往する男の姿は、他のアレン作品にも頻繁に登場しますし、ある意味で滑稽でもあります。喜劇と悲劇は表裏一体であり、描き手が登場人物に対してどういうスタンスで見つけるか、の立ち位置の問題である、ということをウッディ・アレンの作品を見るとよくわかります。彼ほどその「立ち位置」に敏感な映画作家はいないでしょう。
しかし、この作品を見ると、ロンドンがまるでニューヨークに見えてくる瞬間がたびたびありました。たんにアレンが監督しているという予備情報がそう見せるのかもしれませんが、やはり監督ウッディ・アレンのロンドンの描き方、見つめ方によるところが大きいのでしょう。映画に於いて作家の視点、「眼差し」というものは特に重要なものです。その「眼差し」の違い一つで例えば東京でさえ、家族がバラバラの方向を向いたまま共同生活を営むような乾いた街になったり(月の砂漠:青山真治監督作品)、少年少女がけなげに自分達の力だけで生きていく過程で豊かなものを見いだせる街(誰も知らない:是枝裕和監督作品)に変わったりします。
作り手の立ち位置と眼差し、そして観客の立ち位置と眼差し。これらを自在にコントロールしてみせるのがウッディ・アレン監督の凄みです。観ているこちらとしては、ただそれに身を委ねるしかない。そしてそれが一番心地よいアレン映画の鑑賞方法であると思います。

しかし、もう70歳にもなるというのにいまだにその衰えぬアイデアとモチベーションはどこから来るのでしょう。
今年も新作「scoop」をすでに準備中のようです。
きっと、男と女の間に問題が存在し続ける限りウッディ・アレンは映画を撮り続けるでしょうね。
本当に凄い作家です、ウッディ・アレンは。