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映画レビュー「たそがれ」

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記事初出:2008年08月03日 seesaaブログからの引っ越し

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基本情報
「たそがれ(いくつになってもやりたい男と女)」(2007、日本)
監督:いまおかしんじ(たまもの、かえるのうた)
脚本:谷口晃
製作:朝倉大介
出演:多賀勝一、並木橋靖子、速水今日子、吉岡研治

2008Far East Film Festival正式出品作品

公式サイト
http://pink2000s.cocolog-nifty.com/meikemitsuru/cat8055218/index.html

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今作のDVDです。

ストーリーと映画情報
御歳65歳になる左官職人の鮒吉は、毎日スカートめくりをしたりスナックのママとの情事にふけったりと自由気侭な生活をおくっている。彼の妻は、病床にふせており、いつ何時、危篤に陥るかわからない状態であった。そんな中、鮒吉は中学同窓会に出席し、そこで初恋の相手である、和子と再会する。その再会をきっかけに、鮒吉の脳裏に青春時代の日々と和子への思いが甦っていく。
ピンク映画界の鬼才、いまおかしんじ監督が老いと性を真正面から描いたハートウォーミングラブストーリー。

老いと性、そして愛
人間はいくつくらいになると、男と女であることをやめてしまうのだろう?皆、老いと共に自然とやめていけるものなのだろうか、それとも世間や常識といったような類のものが、やめることを強いるのだろうか。
おそらく日本人で50歳を超えてセックスをする夫婦は相当珍しいであろう。いや、世界中でもそれは珍しいに違いない。どこの国でも、ときめきやセックスを楽しむというのは、若者の専売特許のように扱われている。老いと性、そして愛はあたかも反比例の関係にあるようだ。生き続ければ誰でも直面するこの問題に真正面から取り組んだ作品は、日本にはそう多くない。ピンク映画の異才、いまおかしんじは勇敢にもこの問いかけに回答しようと試みた。製作の自由度の高いピンク映画であればこその挑戦だ。

死のその瞬間まで人生を楽しむこと
主人公の鮒吉は、還暦をすぎてもなお、旺盛な性欲を持ち続けている。若い女性のスカートめくりと行きつけのスナックのママとのセックスを習慣としている。そんな彼を息子夫婦は、恥ずかしく見ているが、孫だけは鮒吉の味方である。自由気ままな明るい老後生活を送っている彼だが、この年齢は常に死というものを意識せねばならない。鮒吉の妻は病床に伏せていて、彼の長年の友人も死に至る。それを壮年期の宿命だと登場人物たちは、誰もが理解し受け入れてもいる。そんな中で、主人公、鮒吉のスケベとはいえ、自分の好きな事をやり続けて人生を楽しもうとする姿勢は、年甲斐もなく恥知らずなものというよりは、さわやかで前向きなものに見える。すでに主人に先ただれたヒロインの和子もまた、息子夫婦との共同生活に疲れを感じている。鮒吉は和子をホテルに強引に連れ込み、自分の股間に彼女の手を当てさせる。このシーンのヒロインは、少女のような恥じらいと長らく感じていなかったであろう幸福感を見せ、秀逸だ。息子夫婦と東京に引越す和子は鮒吉に、「今夜の思い出で一生生きていける」と感謝の意を示す。残りの人生が彼女にどれほどあるのがわからない。しかし、人間は息を引き取るその瞬間まで、人生を楽しむ権利があるのだ、死を日常的に意識しなければならない彼らの状況だからこそ、その言葉には一層の重みがある。そして、夜遅く帰宅した和子は、それを非難する息子夫婦に「母ちゃん、今日は女やねん」と静かな口調で諭す。あえて彼女は「今日は」と云うが、この日の美しい思い出は、彼女が生きを引き取るその瞬間まで、彼女を「女」にし続けるだろう。

女は灰になるまで女と云うが、男もまた灰になるまで男なのだ。愛と性があってこそ人生は華やかになる。いくつになってもそれを止める必要はないし、それを止める権利などだれにも無いのだ。
人間、だれしも灰になるまで男と女だ。この映画はそれを信じる勇気を与えてくれる。