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映画レビュー「3時10分、決断のとき(3:10 to Yuma)」

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記事初出:2007年12月21日

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基本情報
「3:10 to Yuma」(2007、アメリカ)
監督:ジェームズ・マンゴールド(ウォーク・ザ・ライン/君につづく道、17歳のカルテ)
脚本:Michael Brandt、Derek Haas、Halsted Welles
製作:Cathy Konrad(17歳のカルテ、スクリーム)
出演:ラッセル・クロウ、クリスチャン・ベイル、ピーター・フォンダ、ベン・フォスター

公式サイト
http://310toyumathefilm.com/

1957年公開のオリジナル作品「決断の3時10分」です。

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ストーリーと映画情報
家族4人で荒野に住むダンは、困窮した生活から抜け出すため、囚人護送の仕事を引き受ける。捉えられた囚人は、ギャングの一団のリーダーであり、伝説のアウトロー、ベン・ウェイド。ダンは、町の保安官とベンに負傷させられた老カウボーイと共に、収容所のあるYuma行きの列車の出る町を目指す。しかし、行く先々でベンの手下が彼を奪還しようと襲いかかる。激しい戦闘に見舞われながらも、辛くも町にたどり着いた一行は、それぞれがある決断をくだす。。。
1957年の「3時10分の決断」のリメイク。

非合理的に生きることの格好よさ
現代社会は、人に合理的に生きるように強いる。そうしなければ不利益を被るばかりだからだ。インターネットは素早く、情報を我々に届ける、非常に利便的なシステムだ。義務教育はなぜ存在するのかというと、現代社会は非常に複雑に入り組んでいるため、なにが自分にとって最適な選択なのかをじっくり選ばせる期間としてある。そうして各人が自分の能力に見合った選択を合理的に選んでいく。老人ホームもまた合理的なシステムだ。年老いた両親の面倒を一括してサービス機関に任せる事ができれば、仕事にも子育てにも没頭することができる。現代社会は万事、物事を合理的に押し進めるために設計されている。
日本には武士道というものがあった。「武士道は死ぬことと見つけたり」の言葉が示す通り、なにか不始末があれば死を持って償わなければならない。そんなことでいちいち優秀な人材を失えば、社会は上手く成長しない。故に近代日本は、武士道精神を駆逐した。武士道は、ある種の非合理的な精神を含む。翻ってアメリカのカウボーイ達はどうだろうか。やはり彼らも持っていたのだ、そうした非合理的な格好よさを。

二人の非合理的な決断
ラストシーン、Yuma行きの列車の出る町に着き、ベンはダンに護送の5倍の報酬をもちかけ、逃がせと云う。保安官も命の危険ゆえにさじを投げている。最早その報酬を受け取っても誰も文句は云うまい。ベンの手下だけでなく、町の荒くれ者全員が彼を狙っているのだ。にもかかわらず。ダンは任務を続行する決断を下す。ベンを引き連れ、ダンはたった一人銃弾の嵐を駆け抜け、列車に向かう。ダンはあえなく銃弾に倒れる。ベンの下に手下どもが駆け寄ってくる。しかし、命がけで助けにきた手下達をなんとベンはあっさり撃ち殺す。血の海に一人たっているベンは、恐ろしく非合理的な決断を下す。護送列車に乗り込むのだ。乗らずとも、誰も止めるものなどいないのにも関わらず。しかも、その後、脱獄名人でもあるベンは、脱走を試みる。脱走するならば最初から乗らなければいいのに。
しかしながら、この恐ろしく非合理な行動は、それ故にまぶしく見えるのだ。

友情でもない、愛でもない
ラストで二人の間に出来る絆は、友情とも恋愛感情とも違う。ただの友情ではない、友情に厚い男なら、命がけで救出にきた手下をあっさり撃ち殺しはすまい。かといって「ブロークバック・マウンテン」のような単純な恋愛感情でもあるまい。それは、きっと現代人が無くした、カウボーイや中世ヨーロッパの騎士達や侍達だけが持っていた別の感情だ。
その別の何かを描ける題材は、もはや現代にはほとんどない。
故に西部劇や時代劇というジャンルは貴重なのだ。

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