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映画レビュー「雨に唄えば」

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記事初出:2006年11月03日 seesaaブログからの引っ越し

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基本情報
「雨に唄えば(Singin’ in The Rain)」(1952、アメリカ)
製作:アーサー・フリード
監督:スタンリー・ドーネン、ジーン・ケリー
脚本:Adolph Green、Bettry Comden
出演:ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、マイケル・オコナー、Jean Hagen

ストーリーと映画情報
時は1930年代、ハリウッドがまさに黄金時代を迎えようとしている最中、ダン・ロックウッド(ジーン・ケリー)とKathy Selden(Jean Hagen)主演の映画のワールドプレミアが行われた。盛況の内にプレミアも終了し、ドンはパーティーへと向かう途中、女優になることを夢見るリナ(デビー・レイノルズ)に出会い、彼女のことを気に入るが、リナはドンのスターゆえの傲慢さに反発心を憶える。ほどなくして、新作の撮影にとりかかろうとするドンだったが、映画史上初めてのトーキー映画「ジャズ・シンガー」が大ヒットし、その煽りを受けて、その新作もトーキーへと作り替えられることになるのだが、Kathyの奇声と下手な発音など、トラブルが続出。なかなか上手くいかない。そこで、ドンは親友のコズモ(マイケル・オコナー)、リナとともに新作映画をミュージカルにすることを思いつく。Kathyの声をリナが吹き替えるという手段により、新作映画「ダンシング・カバレア」は順調に完成したのだが・・・
サイレントからトーキーへの変革期を舞台にした、名作ミュージカルコメディー。

映画とは何か

1895年、パリでリュミエール兄弟が「列車の到着」を上映し、向かってくる列車に観客が驚き逃げようとしてから、今年で111年目。映像技術は驚異的な進歩を遂げた。我々は宇宙戦争も描くことが出来、恐竜さえもよみがえらせることもできる。進歩したのは、技術だけではない。映画は今やエンターテイメント産業の重要な一核をなす一大ビジネスでもある。大手スタジオが全国の映画館を所有していた、時代から今は、コンテンツライセンス権を管理し、TVやDVDなどの二次販売重視のビジネスへと変容を遂げた。映画は我々の生活の一部をなしているといっても過言ではない。もはやそれは文化の重要な一部である。その時、その時代に人々がなにを考え、どんな生活をしていたのか、映画はそうして時代の文化、空気感といったものも伝えてくれる。
果たして映画とは、なんだろうか?人によって定義は違うだろう。スピルバーグなら映画は娯楽であると云うだろう。テオ・アンゲロプロスなら映画は芸術であると定義しそうだ。ジェリー・ブラッカイマーなら、金儲けの道具だろうか(笑)
今作「雨に唄えば」はハリウッドの黄金時代の狂騒を通じてそうしたことを考えさせてくれる。

映画にとって、最初の大きな革命は、トーキー化だった。それまで台詞のない映像で全てを表現しなければならなかった映画は、台詞をしゃべる自由を得るようになったわけだ。だが、その自由は一つの不自由を同時に産んだ。俳優はしゃべらなければならなくなった。サイレント時代なら、アメリカに移民してきたばかりで、英語の発音が不自由でもスターになることができた。そう、この映画のKathyのように。しかし、トーキー化によってそうして俳優は淘汰されてしまった。テクノロジーの変化が役者の、映画のスキーム全体を変えた訳だ。映画とは、他の表現分野に比べて、圧倒的にテクノロジーに依存した表現方法だ。画家ならキャンバスと絵の具と筆さえあればよい。音楽家なら楽器だけが必要だろう。歌手ならなにもいらない。ダンサーも己の肉体だけで全てを表現する。映画とは、テクノロジーの集合体なのだ。
またこの作品は、映画産業の内幕も見せている。史上初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」の大ヒットにより、ドン達もまたトーキー映画を作らざるを得なくなった。実際、映画製作には莫大予算が必要だ。ハリウッド映画に比べれば遥かに安い日本映画ですら、一本平均2億円の予算を費やしている。一本の映画でビルを一つ建てられるほどだ。
そして映画は、エンターテイメントであり芸術でもある。この作品自体、主として観客を楽しませようと腐心して作られている。ジーン・ケリーとマイケル・オコナーのダンスは時として芸術的だ。
そして、この作品は、当時のハリウッドにたいして人々が抱いていた輝かしいイメージを惜しげも無く見せている。冒頭でドンに投げキッスされただけで、失神する女性もいるが、当時のハリウッドはまさに世界中に夢を送り出す工場だった。そんな当時の時代状況もとてもよく描けている。そしてこの作品が製作された1950年代はカラー映画が本格的に市場に出始めたころである。このカラフルな映像は当時の人々が、TVの前から離れて映画館に足を運ぶ理由の一つだっただろう。
しかし、それらの要素はすべて独立しているわけではなく、互いに関連し合っている。映画は金がかかる、なぜなら映画はテクノロジーの集合体だからだ。金がかかるので、プロデューサーや映画会社の社長はいかにビジネスとして成功させるかを考えなければならない。そのために人々の嗜好を知らなければならない。それゆえ、当時の文化状況なども刻印される・・・

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映画にとって、1950年代は、新たな変革の時代であった。それはTVの出現にもたらされた。この作品が製作された当時、映画界は新たな変革の波のただ中にあった。もしかしたらハリウッドは、かつての変革期に当時の映画人たちがいかにしてその荒波を乗り越えたのか、いかにして新しいビジネスや技術を取り込んだのかを振り返ることで、再び襲ってきた荒波にどう対処するべきか、考えようとしたのかもしれない。